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飛騨新道

昔には偉い人がいた!

 気になることは、捨てずに頭の片隅に置いておけば、いつかそこに光が差し込むものだ。

 上高地から、焼岳の北の鞍部を越えて高山に行く道があったと目にしたが、何時ごろのことなのか、どういう謂われがあるのか、随分昔から気になっていた。上高地には徳本峠を越えたのだろうくらいに考えていた。
 7年ほど前、常念岳の頂上に立った時も、眼下の上高地一体を俯瞰しながらそれとなくルートを追ってみたが、全くの見当にも至らなかった。

 それがそれが、ひょんなことで、そのものズバリの本が見つかったのだ。
  【限定私家版 「飛騨新道と有敬舎 岩岡家三代の足跡」 平成10年発行】 である。
 市中に出回るものでないから、目につかなかった訳だ。

 安曇郡岩岡村(現在の松本市梓川.岩岡は字)の庄屋 岩岡勘左衛門英信が企画し、三代にわたって引き継がれ、天保6年(1835年)に完成した「飛騨新道・別名小倉新道」がその道である。
 ルートは驚くなかれ、北アルプスの前山の尾根筋を伝って上高地へ降り、中尾峠を経て飛騨中尾村に至る山道だ。
 常念岳の左手に南北にどっしりとした山がある。これが鍋冠山で、その奥に大滝山がある。岩岡から小倉を経て山に取り付き、そこから尾根筋を辿ってこの2つの山頂を越え、明神池に下りるルートだから、見当が付かないのは当たり前。
 山越えの道の大方は、行ける所まで谷筋を登り、いよいよとなればつづらに折れて峠を越えていく。それが、前山とはいえ北アルプスの2つの頂を越えるのだ。

 四囲を山に囲まれて暮らしていると、特に子供の頃は「あの山の向こうには何が」とか「あれを越えるにはどこから」とか思い描くものだ。そして、越えるには谷筋か鞍部に目をやりこれを追う。

 英信は飛騨を旅した時に、安曇と飛騨を結ぶ新しい山道が開鑿されれば、安曇の米を飛騨に運ぶことができ、また越中・加賀からの道程も糸魚川ルートに比べ大幅に短縮されるので、海産物も安価に且つ容易に入手できると着想したのである。
 もともと山に入る猟師達が歩いた道があり、高山の大火の復旧にこの道を通って安曇の大工が出かけたことも聞いていたらしい。道といっても人がやっと歩けるくらいの獣道に近いものだったろうが、険しい山越えではあっても飛騨への最短コースであることは知られていた。
 
 岩岡家が三代にわたり、私財を投じてこの偉業を成し遂げたこと
 幕末とはいえ、松本藩・天領の飛騨郡代(幕府)との交渉
 関係村民との意思疎通と協力
 土木工事~荷を付けた牛馬が往き帰るようにした
  そのどれをとっても、難行苦行であったに違いない。

 加賀藩は参勤交代の道としてこれを利用すべく調査までしたが、結局使われることなく明治になってしまったようだ。
 それには、島々の村民が沿線の木材盗伐の露見を恐れて不利な申し立てをしたとか、小藩である松本藩が大藩の通過に伴う補修等の煩わしさを避けようとしたとか、そういうことで時間が掛かりすぎ結局詳細な調査を終えるまでだったとの記述もある。(中島正文著 藩政時代の神河内より)

 この飛騨新道開通に伴い、上高地に湯屋を設け営業もした。~上高地開発の基礎
 また槍ヶ岳開山の祖播隆上人も、この道を辿って槍ヶ岳に登った。

 こうして完成した新道は大いに交易の道として活用されたが、天保の大飢饉・信濃の国の凶作により米が底払いしたこと、加えて疫病の流行等があって荷物を運べなくなり、更に万延元年の大暴風雨により道が損傷して不通となってしまった。その修復に岩岡家の三代目が奔走したが、この時の梓川筋の大荒れ修復でお上の支援も得られず、私財も底をつき万策つきて文久元年(1861年)「道筋切塞」の願書を提出し、この道の歴史に終止符を打った。
 開通26有余年という、短命な道であった。

 しかし、百戸にも満たない寒村の一庄屋がこれだけの偉業を成し遂げた基には、確固たる情熱と精神力があったことを同時に知った。
 「心学」というある一時期全国に広まった学問があり(その中身は詳しく知る由もないが)、この学舎を「有敬舎」と称して敷地内に設け、自身が先達となり大いに教育の道を開いたのである。
 一寒村の庄屋にして、その向学心と教育をも通して地域地域発展に貢献したいという情熱が、やがて「飛騨新道開鑿」を図ったのであろう。

 昔には、「私を越えて人の為に尽くす」という、まことに偉い人がいたものだ。
 道は、いろいろなことを教えてくれる。
 道は、辿るほどに今をありのままに見せてくれる。
 

  
 


  


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Zuoteng

素晴らしい文章、リンク引用させていただきました。

http://d.hatena.ne.jp/zuotengiphone/20140903
Alps Panorama…幸福时光

このあともお元気ですか
by Zuoteng (2014-09-07 11:04) 

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