松本を旅する人に応えたい その4
松本の街並みⅡ
特攻機発進基地であった「知覧」には、江戸時代の侍区割りに往時のまま武家屋敷が残されており、当然の如く子孫が今の生活の中で暮らしていた。列記するまでもなく、同様の景観は全国にも見られ、魅力的な名を残している。
城下町松本をイメージして松本を訪れた時、残念ながらお城と一体になった武家に関わる景色は見られない。残されている「いにしえ」は、城下町の区割りと幾軒かの商家である。
その中で、どういう風情を感じ取ってもらい、また来たいと思ってもらうのか。
(御徒士町に武士の家が一軒あり旅行案内書でも紹介されている。老朽化が進み市に寄贈さ
れたことから、移築保存することになっているそうだ。結構なことである。)
仲町のように、新しく街並みを整える取り組みと、続けられているその努力は素晴らしい。松本の新名所となり、町は活性化しているし旅行者も満足気である。
大正ロマンをうたった上土町は聊か頓挫しているが、もう一歩のところではないかと思う。
思うに、地元の人間ならあそこの処ここの処と、昔を偲びつつ感慨を深める場所はいくつもある。それが、城下町松本として一つになっていない、また関連づけられていないから、訪れた人に分かりにくく、外に向かって強力なに発信も出来ていないのではないだろうか。
もはや、駅前通りから北・本町通りから西、女鳥羽川から南の、いわゆる駅前再開発関連で出来た街並は(仮にA地区とする)、共同して「松本ならではの新しい商いの道」を作り出し、そこを一緒になって歩まざるを得ない。いつまでもパルコ松本店に頼っているわけにはいかないし、お城や縄手や仲町への通り道では困る。一軒一軒見ていけば、良い店が多い。が、孤ではどうしてもパワーに欠ける。
このスクエアーが一つのカラーで見て取れるようになれば、松本の街並みの導入箇所としての位置からも、来松者の目に松本が魅力ある街として映るだろう。
(街中の空洞化が取り沙汰された記事を見て、「近郷近在のお客を相手に殿様商売をし、しっ
かり儲けた後は郊外に住まいを移し、主の居ない店で相変わらずの商売を続けている連中
が何言ってんだ!」と吐いて捨てるように曰った御仁がいたが、少し外れた所で小商いをして
いただけに、何か腹に据えかねて来たものがあったのだろう。子供の頃、金持ちと言えば街中
の商家を思い浮かべていた小生も、僻みもあってか妙に納得してしまった。)
本庄通り・本町通りを大門沢まで北に通した線から東、和泉町・東町・大橋通りから天神様界隈を結ぶ線の西、この長方形の地域(仮にB地区とする)には、城下町区割りの小路が沢山残されている。城下の守りに就いた寺や神社も多い。これを生かした取り組みもいいのではないか。
まず、高砂町・仲町・縄手・緑町・上土・小柳町・大名町を一つのブロックとし、一体的な雰囲気づくりを進めたら良い。
(「松本城に来てくれても街中を素通りしてしまう。だから大手駐車場にバスを止めさせて、少し
でも街中を歩いてもらおう。」こんな方策が現実に取られること事態、奇異なことである。お城ま
での道筋にそれだけの魅力ある街並みがあり、足を止めてもらえる店があるなら少しは我慢も
出来よう。そこに手をつけずして、老若男女悉くお城までの道のりのみならず、お城周遊・開智
学校までの道をとらせるなんて。言い出しッペは誰だか知らないが、これに行政も一緒になっ
て! 全く、観光都市松本の良識が問われるところではないか。)
松本の街並みを、訪れるひとの心を掴むようにするには時間がかかろう。
とりあえず出来ることは、過っての城下町の街並みや風情を目に見える形にし、街角やそのえにしの場所に掲示していったらどうだろう。地元の人間なら承知しているロケーションの案内も加えるといい。
今でも縄手通り四柱神社入り口や大名町通り大手駐車場角に立派な案内が立っている。旧市内の主だった見所や通りが記されていて、手元の旅行案内書と照らし合わせ見て回るに便利だ。ここに、江戸時代の街並みが併せて掲示されていれば、旅行者にはもっと思い入れの出来る松本になるのではと思う。
A地区・B地区のそれぞれの色分けが出来、新旧の松本がひとつになった新しいイメージがアピールできるようになれば、これは旅人にとっても勿論住民にとっても最高である。
併せて、広域松本市の中で紹介したい所も、大判写真で随所に掲示するといい。松本が更に広く大きく感じられるし、再度の来松を促すことにも繋がる。
街並みを作り整えるということは、個の生活・財産・既得権・事業・営業にも大きく関係してくるか
ら、大変難しい場面が多い。難しいことだから、多くの所は流れに委ねざるを得なく、変化あるがままを置いている。他方、有る智恵を最大限に出し合い、「自分たちの変化に止め得たところ」には、そこを慕って多くの人が訪れるようになる。
今の松本の泣き所は、いい所・いい物が分散していることである。いい例が、貴重な品々の寄贈を受けて開館した日本浮世絵博物館や日本司法博物館のある松本歴史の里が市街地から離れたところににあり、松本ICから近いとはいえ足を運ぶ人は少ない。市街地にあれば、極めて大きな力になっていただろう。
つくづく思うことは、「開発に当っては、残すべきものの見極めとその残し方が大変重要だ」と言うことである。
松本市にもヒットはある。先に紹介した美ヶ原の保存もそうだが、何と言っても「アルプス連山を背景にした松本城」、この景観を残すよう関係方面の高さ制限を早くに取り決めたことだ。これだって、城西・宮淵地区の住民の理解がなければ出来なかったことだ。
まだある。花いっぱい運動や市街の緑化推進も、やがて目に見える形で街並みに潤いをもたらすだろう。
思う心があれば考える。考えれば策は出てくる。やる気になれば成し遂げられる。
そして、仲間になり、ひとつになることは欠かせない。
そこが旅人を招く街づくりの出発点となり、住民であることの誇りを自然に伝えられるようになる。
のでは・・。
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