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本屋さんと雑誌やさん

街の本屋さんに行こう!

 ご幼少の砌から「本の虫」であることは、自他共?に認めるところである。
 本棚の前に座って、今ここに在る本をもう一度読み返すことが出来るかな?と思ったりする。そのくせ新しい本が増えていくのだから、それは何とも心もとないことである。

 横目で見ながら通り過ぎることができないのが、本屋さんと楽器屋さんであった。これはどこへ行っても変わらない。新宿では、僅かな時間があれば「紀伊国屋」に寄るというように。
 楽器屋さんでは樂本を見回してきたが、昨今弾いてみたいとか歌ってみたいとかいう曲や歌がなくなりトンとご無沙汰している。また、馴染みの楽器屋さんが店じまいしたりしていて尚更である。昔に比べ、「音楽」というものが少し家族から遠のいている気がするが、どうだろう。

 本屋さんも様変わりしている。
 タウンページで松本市の書店の項を調べたら、業者名で31あった。支店は入れてないから店の数は少し増える。古書店は11、これは書店との重複を除けば10以下になる。
 店数はともかく、書店を「本屋と雑誌屋」に2分しておきたい。いわば、専門店とスパーマーケットのような区分である。
 「良書」といわれるものをきちんと取り揃えてあるところが「本屋」である。
 週刊誌・グラビヤ・マンガ・センセーショナルな話題本など、売り上げ高追求で売れる本を前面に出しているのが雑誌屋である。

 良いも悪いもないが、どうも苦労しているのは「本屋」であり、その本屋も背に腹は変えられず雑誌屋の色合いを濃くしつつあるように見受ける。
 先日渚の「蔦屋」で、ある「岩波新書」の有無を尋ねた。サービスカウンターで要を得ず、担当者という人を呼んでくれた。再度尋ねると「岩波文庫」なるものを知らず、“うちの取り扱いにはありません”とのこと。
 おいおい松本で書店を開いていて「岩波文庫」も知らないのか!、とカチンときたが無理もないことと気付き抑えた。ディスカウント主体のスーパーマーケットで特定産地のA級の牛肉を欲しがったようなもの。本を売る人ではなく、本という「物」の単なる売り子なんだから。

 今、本屋といえる書店が松本に何軒あるだろう。
 子供の頃は、大名町の「明倫堂」・「鶴林堂」、本町の「高美書店」で事足りた。
 「明倫堂」は信大の近くに移転し医学書専門店になった。「鶴林堂」は南松本の店を閉め、本店が頑張っている。「高美書店」は区画整備がらみで本町から伊勢町のパルコ東の角に移り、井上新館の支店とともに、昔に変わらぬ内容で店を開いている。
 実際のところ、身近な教養書といわれる「岩波文庫・新書」・「中公新書」などの類、あるいは少し固めの本は「高美書店」でないと見つけられない気がする。「高美書店」に雑誌やマンガの類がないことはないが、それは品揃えの幅の一端に過ぎない。本屋としての構えは、「良書の取り扱い」を貫いている気がする。創業が寛政9年(1797年)というから、それなりに一本筋が通っているわけだ。
 子供の成長に合わせて読ませたい本もあるし、勿論探す楽しみと共に一生付き合える本が揃っている。こういう本屋は長くこの地に残って欲しいし、地元の人間が応援・利用していくべきだと思うが。 

 立ち読みも2分することができる。
 マンガや雑誌をその場で読みきってしまい、或いは調べ物を済ませてしまい、共に購入行動に結びつかないのが「盗み読み」である。
 何かいい本・面白い本はないかと棚を見回し、気になる題名の本を取り出してパラパラと中身を見るのが「探し読み」である。これは、購買行動に結びつくから本屋さんのお客である。
 本屋に寄るのは、この「探し読み」のためである。店側にしてもそうしたお客を待っている。
 マンガ・グラビヤ等に透明のビニールで封をされるようになったが、言うまでもなく「盗み読み」防止のためである。かってのビニ本はあのビニ本であり、封の狙いは他にもあった。それが、節操の無い人間が増えたがために、普通のマンガや雑誌にまで広がっっている。
 本の内容によっては仕方がない措置だが、ページのめくれない本を売る本屋は辛かろう。
 ブックロクサンは、「盗み読み」に加え列車の時間調整客が多くて店じまいしてしまった。あの店ならではの品揃えがあったから、残念である。

 もうひとつ、街の本屋さんの足を引っ張っているだろうものに、インターネットを使った新しい本の流通がある。これはこれで便利なこともであろう。しかし、中身が想定可能なものはカタログショッピングでも良いが、元来「本といわれる本」はそれにそぐわないものだ。
 いろいろな媒体の紹介から求める本もあるが、どうも後に残っていく本は少ない。選択の段階での、「脳の働きかけ」が乏しいからかもしれない。私の本棚を見る限り、「探し読み」の中から得た本が新しい世界を開いて来てくれている。
 本屋にしても雑誌屋にしても、ある面お客が鍵を握っている。
 「探し読み」もそうだが、「幅広い読書の世界を持つこと」は大変重要なことではないだろうか。
 これは親は親として、また子供に対してもしっかり受け継いでいかなければならないことではないかと思っている。

 いずれにしても、良いお客になって「街の本屋さんを守る」一端を担っていきたい。いままで十分に育ててもらってきたし、これからも育ててもらいたいから。
 「街の本屋さん」も店番をしているだけでなく、もっと前に出るような「店内・店外の戦略」を講じてほしいものだ。
 勤労感謝の日、お昼の12時15分頃大名町の古書店に寄ってみた。ドアーが開かない。ふと見ると「ランチタイムにつきご用の方はインタホーンを押されたい」旨の張り紙が下がっていた。
 店側としては古書店故の客の流れを承知した上でのことだろうが、観光客も通っている松本の看板通り、しかも目に付く店の構えでもある。店は店主のものかもしれないが、松本の街の一角をなして店を開いていることも、商いの根底にしっかり置いてもらいたいものだ。

 ひとつほっとするのは、かなり前から幼児向けの良書を扱う専門店ができたことだ。こういう、本屋さんも大切にしたい。

*彼の「十返舎一九」が松本を2度訪れているが、そのいきさつを述べ、またその時期の松本の
 町民文化の在り様を紹介している『一九が町にやってきた ー江戸時代松本の町人文化ー』鈴
 木俊幸著に、「高美書店」のことが詳しく載っていた。
 まさか十返舎一九が松本に来ていて、この地の人と交流を深めていたとは知らなかった。
 興味深く、面白い本である。よろしかったら、ご一読あれ。 
   
 

 

 


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松本の書店事情はさびしいものがあります。
古書もなかなか手に入りにくいのも残念です。

高見甚左衛門を尋ねて2度来松し、狂歌会を開きながら楽しんだと、高見書店の古文書に記してあることは聞いたことがあります。
当時の文豪は地方地方に懇意のお金持ちがいて尋ねて回るのも楽しみにしていたようです。
文化年間は狂歌ブームで著名な狂歌師「鹿都部(狂歌堂)真顔」も松本を訪れ、狂歌を詠んでいます。
「立廻す 高嶺は雪の銀屏風 中に墨絵の松本の里」
奉務神社に碑がございます。
by (2006-11-24 15:23) 

sangaku徒

「善光寺道名所図会」巻1の中に、2ページにわたって「宮村大明神境内」が描かれており、その中にも狂歌堂の銘でこの狂歌が載っています。これを発見した時は嬉しかったですね。
この絵をご覧になれば、私より詳しく境内の様子を見取って頂けるでしょう。
by sangaku徒 (2006-11-25 07:36) 

当社の社報で中川治夫先生により詳しく「宮村大明神」と町人、武士との関わりを連載寄稿いただいております。
次号(12月4日発行/年2回)には「善光寺道名所図会」より引用した境内図をもとに解説しております。
by (2006-11-25 21:58) 

sangaku徒

ご案内ありがとうございます。拝見させて頂けるよう、考えてみます。
by sangaku徒 (2006-11-26 14:44) 

宮下重美

松本市出身者です。
なつかしく拝見しました。
大名町通りの明倫堂のはす向かいに、小さな書店がありました。
もし、名前をご存知であれば、お教え下さい。 長野市・宮下重美
 miyashita-shigemi-2482@nifty.com
by 宮下重美 (2021-06-04 09:40) 

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