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教育基本法成立?

話題の2法案成立か?

 学ぶとは、まず心を養うこと。養った心をもって表現するのが「言葉」。
 「イジメについて」の中で、先に立つ者・目立つ者達が率先して「公序良俗」の範を垂れることが早速の解決の糸口と書いたが、「まともな論戦がみられない国会」で話題の2法案が成立の見通しだ。
 それにしても、「真正面からの論戦を避け、論点をはぐらかし通した小泉さん」・「言葉数が多く、立て板に水で話す安倍さん」、どちらにも政治家としての言葉の重みは感じられない。政治は論戦を経て目に見えるものになるのだから、当然政治家としての資質もつきまとう。
 加えて、郵政民営化反対議員の復党に関わる、どっちもどっちのドタバタ劇。
 これほどまでに「言葉の重みを問われない国会」にこの国を託していいものか。政治家も悪いが国民も未熟だ。言葉の扱いが軽すぎる!
 言葉が軽いということは、心の養い方が足りない。心が養われていないということは、学びに不足があるということだ。

 そんな中で、教育基本法が改正されと防衛庁の省昇格が決まりそうだ。
 「アメリカの属州」との揶揄(あるいは実際)を断ち切り、真の独立国家としての存在を確保するには、戦後「GHQ主導で作られた諸々のもの」を見直す必要があると思う。
 GHQの指導がなければ、当時の日本人の感覚では構築出来なかったこともある。一方で、自国においても掲げられないような「理想郷化」を押し付けられたものもある。
 そうした幅広い検討分野を、同時に必要とする2法の改正である。
 
 【自由・平等】
 公序良俗を踏まえた上での、社会的活動の自由である。もっと言えば、日本人としてのアイデンティティっを持った上での自由であり、これに伴うものは責任と制約である。
 平等はまず基本的人権の平等であり、法の前の平等であり、社会的恩恵の平等である。これを踏まえて、平等と公平を混同しないようにしなくてはならない。

 【教育基本法】
 戦後の教育がどこかの時点からおかしくなり、今日多くの問題を発生させてさせているからには、日本国としての教育の在り方を見直す必要がある。
 江戸時代の寺子屋・私学・私塾からはじまり、教育の機会を大切にしてきたから「先進国の一翼を担う」までになっている。教育・学ぶことは人づくりであり国づくりであることは、日本人が世界にさきがけて実証したことである。
 この教育が崩壊とまでいわれているからには、単に現場がどうのこうのというばかりでなく、政治家・官僚筋・地方行政筋・教育現場までが、教育再生に向けてひとつになって動けるような、そういう教育基本法の肉付けを急ぎ、また間断なく続けないといけない。

 【日の丸・君が代】
 国旗日の丸は、日本のシンボルである。これに対し、内外で侵略戦争の陰を見るからどうのこうのというのは、国旗日の丸に問題があるのではなく、「きちんとしたケジメを示さないこと」に起因している。そこのところを踏み間違えないでもらいたい。国旗日の丸に罪は無いし、国旗の無い国はない。世界で最も早い日の出を迎える国に相応しい国旗ではないか。
 国歌君が代が取りざたされた時、「♪我が日の本は・・・」と歌い出せば良いのにと冗談を言ったことがある。「君」は天皇を指しているのだから云々と言う人もいるが、それは新憲法草案の段階で「国の象徴~シンボル」などと苦渋の訳をせざるを得なかったことが原因のひとつだ。その位置づけに異論はないが、私は、天皇は日本国の「核・コア」であると思っている。どの時代からを取り上げるかはともかく、紛れもなく「一人の天皇を核にして」日本国は成り立ってきた。その長い歴史の上に今日があるわけだから、「君は天皇であると同時に、天皇を核にして成り立っている日本国」であると解釈し、国歌君が代を歌う。

 【防衛庁が防衛省に】
 この機会に、国防ということを考えるべきだ。
 GHQは新憲法に軍備の完全放棄を盛り込ませた。ところが、程なく共産主義侵略の防波堤が必要になり、自分からは言い出せないところを突いて「講和条約」に結びつけたのが吉田茂であると承知している。安保条約により米国の笠の中に組み込まれ、警察予備隊・保安隊・自衛隊と規模を拡大しつつも、一方で政治の中心は経済の復興に集中出来た。
 それはともかく、独立国家として自分の国は自分で守らないでどうする。世界は常に流動的であり、教条主義的な理想・理念だけで現実は過ぎていかない。
 専守防衛・非核三原則など、国是として堅持、世界に範を示していかなくてはならないことはある。同時に、基本的国防というものをもっと真剣に考えて良い。
 第2次世界大戦は、表立っての植民地政策をNOとする共通認識を世界にもたらせた。しかし、違った形での侵略・抗争は途切れることは無い。その根は、恐らく「人間の業」にかかわるものだろう。そして、武器は使い事を前提に造られ装備されていることも忘れてはならない。
 だからといって国防というとすぐに軍備に目がいきがちだが、それ以上に重要なことは、
外交力・食料自給率の向上・国土保全・人材を育てる教育・産業振興等であり、これは国力の基本的不可欠事項でもある。
 防衛庁が防衛省になるのなら、こうした幅広い視野に立った国防力を具現化するよう努めてほしい。制服組の長年の悲願達成!で終らせないように。

 * こうして、とかく微妙と言われることにも真正面から向き合って「日本国」を理解していくこと
  が大事ではないかと思う。その過程で、自ずから国を尊ぶ心が生まれるのではないか。初め
  に愛国心とはこういうものだと定義するから、ややこしくなる。
   「日本国」につての理解に諸説あるいはそれぞれの立場での見解があるのなら、国家統一
  以前のこの地での生活に思いを馳せてみればいい。弥生時代で不足なら縄文時代に、それ
  でも足りなければ石器時代まで。言葉の成り立ち・信仰のあり方・人の移動・物の流れ等、全
  て今日に繋がっており、そこに「日本国」があるのだから。
   突然今になったわけではない。
   こうしたことをきちんと教えるのが「教育である」と思う。それを学ぶことで心が養われ、言霊
  の国に相応しい言語で物事が執り行われるようになる。 

 ところで、信濃教育会はいまどうなっているのだろう。教育県長野を象徴するものであったし、確かな理念・理想をもとに教員の育成と教育内容の充実に大きな力を発揮していたはずだが。
 
  
 
 
 
 
 

 



 


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Rudo

教育とは上から見下ろした場合。学習こそが本来の姿。
経過を見ればいかに「押し付けをしたい」かが良く分かる。

防衛庁は防衛施設庁のけじめをつけたのかどうか?
省に昇格した所でルールを守る意識が無ければいずれ暴走するのではないかと不安が残る。

日の丸、君が代。
自分にとって昭和天皇は尊敬できる人に入る。某メモにしても。
しかし、政治家は尊敬していないので複雑な気持ち。
愛国心も「国」の定義が国土や人民、尊敬できる首長であるなら賛成するものの
政府=国という定義では愛する事は出来ない。
ついでに言えば日本国籍を持ち日本に住むが未だに国外を母国(主)と考える人が愛国心を持たないのは当たり前の話。

良く、識者が「政治家に投票したのは国民だから責任がある」と言う。
個人的には投票率が低くて有権者の50%の支持も得られてない人間が何を言うかと思うので一つ提案。
株式会社では株券の保有数及び委任された票数で投票が行われる。
政治家も いっその事 投票権を1議席1票にしないで当選時の得票数にするとよい。
1票の格差問題も一気に解消されるに違いない。
その上皆が投票率の向上に本気で取り組む気になれると思う。
ただ、死票の問題が明白になるのと、全有権者の何%の支持を得ているかが眼に見えるようになるので恐ろしくて出来ないだろう。
by Rudo (2006-11-29 19:22) 

sangaku徒

上澄みだけで済んでいく時代の怖さをつくづく感じます。根無し草・流浪の民に確たる未来は望めませんもの。
by sangaku徒 (2006-11-30 14:41) 

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