私の神様・仏様
今更この歳になってですが
我が家が神仏混淆の最たるものであることは、10月25日に載せた。無宗教と言われればそのとおりであるが、信心深い人間だと思っている。しかし、その信心の中身は?と尋ねられると即答出来かねることに気付き、今更でありこの歳になってではあるが、私の中の神様・仏様にそれぞれの御席・台座に改めて着いて頂いてみた。
【神様・神道】
天におわします神 ~宇宙全ての不可思議を司る神
八百万の神 ~身の回りのあらゆるところにおわす神々
皇室神道 ~天皇のみが継承する神々で、その長い歴史がもたらす余慶は国に広くく
及ぼしている。
『日本書紀にある「天皇信仏法尊神道」は神仏混淆の一つの始まりか』
神社神道 1 ~その地域に根ざしたその地の守り神
神社神道 2 ~天照大神に始まる国津神々を祀る
神社神道 3 ~聖人・賢人・偉人・武人・有徳の人・功績ある人等を神格化して称え、且つ
その「力」を授からんとする
神社神道 4 ~山岳信仰など固有の神を信仰対象とする
教派神道 ~独自の神を信仰対象とし、教義・経典(未確認)を有する
(新興宗教的神道は全くあずかり知らぬところ故、ここに含まず)
稲荷神社 ~お稲荷様として親しみをもって参拝する
私の神様の御席を分けてみるとこうなった。
今までは混淆ならぬ混在であったのが、随分すっきりできた。
改めて気付いたことは、
1.いつの間にか心の中に在り、いつも神様の存在を意識し続けてきたこと。
2.それは、天におわす神であり八百万の神々であったこと。
3・特別な場合を除き、祭神を問うことも無く、社があれば石碑があれば頭を垂れ手を合わせてき
たこと。
4.教義・経典なるものを見たことも聞いたこともなかったこと。
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙せぬ国」だから、あえて“心のまま”を形にすることもな
かったのか。「磯城島の大和の国は 言霊の助くる国ぞ 真幸くありこそ」だから、祝詞に魂を
込めたのか。
5.にもかかわらず、生活規範から始まり多くの示唆をうけていたこと。
概ねこういったところである。
【仏様】
1.ご先祖さま
辿れば地球46億年の中の生命30億年の時の流れ。そこまではともかく、150万年の人類
に至る歴史を思えば、あだや疎かに出来ない命であり、祖先への感謝である。
2.お釈迦様・諸佛・諸菩薩
私の仏教の系譜は、お釈迦様=玄奘三蔵=鑑真和上=良寛=私である。家は浄土宗である
が、開祖は法然上人であり総本山が知恩院であること以外知らない。むしろ、禅宗(曹洞宗)に
惹かれることの方が多い。
菩提寺があり檀家であるから仏教徒かと訊かれれば、否と答える。その割りに、仏教に関わ
る本はかなり持っている。従って、仏教に関しては宗教という面よりも、学習・修養として、意識
して何かを身に付けようとした対象の色合いが濃い。どうも仏教は、頭から心へと降りてきてい
る。
「一切衆生悉く仏性を有す」 ~ お釈迦様のことば
「災難に逢ふ時には、災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。
是はこれ、災難をのがるるの妙法にて候」 ~良寛様
この二句が、私の仏教観の全てかもしれないと思っている。
【宗教観】
かねてより、宗教はウサンクサイものだと思っている。
洋の東西を問わず、人の道を説く宗教が、諍い・戦いを仕掛け、どれだけ多くの人を傷つけ殺し苦しめてきたか。未だに続いているではないか。そして、分派分派の連続。この二点をもってウサンクサイと思うのだ。
日本の神ながらの道には、私の知る限りそうしたことは無い。(国として統一されるまでの過程でのことは、あえてその類に入れなくても良いではないか。想定以外何も残っていないのだから)
だから私は無宗教である。しかし無神論者ではない。
【お宮とお寺】
お宮といっても、私感覚で分けても6つある。いずれにしても、もっと大切にしなければと強く思う。それは、日本人のDNAにしっかり組み込まれているものなのだから。
日本の豊かな四季が、日本人の諸感覚を育ててきた。その諸感覚を以ってこそ、日本人の存在が認められるのだ。その同じ線上に「神ながらの道」があると思う。
皇室神道が即ち「日本の神ながらの道」であるとの認識が強いとしたら、それは「お宮」に携わる者が積極的に前に出て誤解を解かねばならない。何も宮司だけの務めではない。村の長老達も、産土の神の祭りには、その謂れを引き継いでいかねばならない。
お寺は、檀家制度を引きずり、葬式仏教で安穏としているようでは先が見えている。いつどう現在に受け入れられる活動を始めるのか、衆生は見ていないようでしっかり見ている。
【日本人は無宗教?】
本来信心深い民族であると思う。
神道にしろ仏教にしろ、時の為政者(国策)に利用され、またその後は放置されてきた。その後遺症もあるだろう。しかし、
教義・宗派に属さなければ無神論者と言われるのは、日本人の信心深さからすれば的を外している。
残念なのは、己の信心深さを忘れているか気付いていない日本人がいることと、日本人の信心深さを掘り起こして今の混沌とした民情を変えようとする動きがみられないことだ。
神様と仏様等について
とても素敵な考え方をお持ちの様ですが
もう少し探究して頂きたて、投稿させて頂きます。
私、あまり頭が良くないので申し訳ありませんが…
神様から授かった「神の子」であると自覚しております。
自身の内なる心の中で、神様と対話しております。
生きていることに感謝しながら生きています。
私が探究しましたサイトで、あなたも学んで頂ければ幸いです。
http://git.dyndns.tv/
by 希望 (2008-03-15 17:33)