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いじめ その4

けじめが付かなくなっている元は?

 うろ覚えで申し訳ないが、かなり前の新聞の広告欄?にこんな記事があった。
 沈没することがはっきりしている船で船長が、「
助かるには海に飛び込むしかない」と叫んでも、皆なかなか飛び込もうとしない。そこで、国別に耳打ちしていったら全員が飛びこんだ。
 英国人~こうすることは、海に出た者の伝統になっています。
 米国人~勇気ある人と称えられるでしょう。
 仏国人~絶対に飛び込まないでください。
 独国人~飛び込む規則になっています。
 伊国人~下へ行けばモテます。
 中国人~今飛び込んだ人は、大きな儲け話しを持ってます。
 露国人~こっちにもっと良い飛び込み場所があります。
 日本人~みんな飛び込んでいます。

 「何でもありの風潮が蔓延してしまった元」は、日本国としてまた日本人として、今次大戦のけじめを付けなかったこと(未だに薄いベールを掛けたままでいるが)にあり、そこが出発点だと考えている。
 今次大戦は、日本国にとっては明治維新とは比較にならない程の「革命」であった。革命に血はつきものとはいうものの、その革命がもたらした自由と平和と平等を手にするにあたって、どれだけの「悲惨」を国の内外にばら撒き、血を流し・流させてきたことか。
 この「
大革命」の総括とけじめをつけず、馬車馬の如く経済復興の道を突っ走った結果の中に「いじめ」もあるのだ。

 GHQの統制下では三権とも動きがとれなかったから戦後直ぐにとはいかなかった。しかし、昭和26年の講和条約締結によって独立国家となった時点からけじめをつける取り組みを始め、早い時期に国の内外にその「日本国としての戦争総括とけじめ」を示すべきであった。
 その点、同じ敗戦国でもドイツは違う。今に至るまで、国際社会における信頼・評価・存在感に大きな差が付いているのはそこにある。
 
 どういうけじめをつけるのか。
 首相は「歴史の評価は歴史家に任せ、政治は口を挟むべきでない」と訳の分らないことを言っているが、国内はもとより国外に対して「国の姿勢を示す」のは政治の範疇であり、歴史家の務めではない。政治が表に立ってしっかりとした検証過程を踏みつつ、けじめの中身を形作るべきだ。

 今次大戦の総括と言っても、どこからを今次大戦と言うのかさえ難しい。満州事変以降を言うのか、支那事変以降を言うのか、南方進出からをいうのか。ある時点だけを抽出して見ていると、誤りが生じる。歴史は繋がっているのだから。
 私は、幕末の不平等条約による開国から昭和26年の講和条約締結までをつぶさに見ていかないと、明確な今次大戦の総括はできないのではないかと思っている。
 開国以降の相手国との交渉・中国・朝鮮国との関係・欧米のアジア進出状況・ロシアの南下政策、そうした中に日本の国情があって歴史は動いてきたのだ。
* この間の歴史は、今に生きる日本人にとって最も重要な・必要な日本史の中身である。きちんと教えておかないと、いつまでも国際社会における流浪の民になってしまう。

 私の子供の頃は実際に戦地から帰還した人が大勢いて、手柄話しとも戦記とも分らぬ話しを聞かせてくれた。南京でのことも慰安婦のことも、もっともっと信じられないことも聞いた。
 クラスには、お父さんのいない子が何人も居た。お父さんが戦争で亡くなったことは暗黙の承知事項であり、特にそうしたことで差別も特別扱いもなかった。私も同様だが、身内に戦死者のいない家庭はなかったのではないか。
 神道祭り・五社のお祭り・天神祭り・あめ市・恵比寿講、そうした人の集まるところには、白い病人服を着、戦闘帽を被り、松葉杖をつき、アコーデアオンやバイオリンを弾いて善意の報謝を乞う傷痍軍人の姿があった。

 間違いなく、人が傷つき・人を傷つけた戦があったのだ。
 その今次大戦の総括をし・けじめをつけない限り、憲法改正論議も真に理解されないし、広島・長崎に対する罪を米国に突きつけることもできない。
 併せて、東京国際裁判の何たるかやGHQの占領政策の中で是とすること非とすることまで、こと細かにつまびらかにしておかないと、戦後の日本の歩んだ道・歩まざるを得なかった道が理解できない。

 今更!という声もあるだろうし、今のいじめの解決には遠すぎるという声もあるだろう。
 しかし、対症療法だけで事を済ませようとしていたら、真の問題解決にはならない。
 科学肥料を撒き消毒を重ねても、土壌をしっかり作らない限り良い作物は出来ない。今の日本は、その肝心の土壌がふやけているのだ。しかし、がれ場や砂地ではないから、望みは持てる。
 村井知事が、長野オリンピックの金の動きに対する調査を中止させた。「今更犯人探しでもない」との釈明だった。さっそく市民タイムスの「みすず野」が、「ほっと胸を撫で下ろしている向きもあるだろう」と我が意を代弁してくれた。この一件で、かなり村井県政のこれからに?!が付いた。県議が大方残っている中では、また同様に片付けられることががあるかも知れないと疑義を感じるようになる。今更で始まれば、大戦のけじめと同じことである。

  冒頭の新聞記事の揶揄ではないが、右向け右!で1億2千万人が一斉に右を向くようでも怖い。しかし、1億2千万人が「何でもあり」の風潮の中で生きてきたのも事実である。
 やはり、ここらで足元を見つめ直し、恥を知る日本人に立ち返るべきではないか。
*今朝も、校長が亡くなり、生徒が亡くなったニュースが流れている。

*経験者とは、過去に何をしたか、どれだけのことをしたかではなく
                            経験を踏まえて今を生きている人
                            経験を将来にどう生かそうかと考え
ている人
                            そういう、今を実践し将来を目指している
人を指す。~のだそうだ。
  喫緊に求められていることは、多くの経験者の知恵と行動である。
 
   



 

 
 


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