いじめ その5
いじめは無くならない?!
人間は感情の動物であり、欲望を生命力の源にしている。そこからは嫉妬心や闘争心も生まれる。だから、生きている限り、いじめ心を抑えること・いじめを減らすことは出来ても、無くすことはできない。
また、誰しも初めての人生である。見るもの・聞くもの・感じるもの・身の内から湧き上がってくるもの、その全てが初体験である。二度目の人生なら許されない失敗もあるが、初めての人生なら、例え道を外したとて、その全てを責める訳にはいくまい。
となれば、いじめのあることを前提に、「いじめをしない人間づくり」と「いじめを減らしていくこと」、そして「いじめ対処方策」の三つを並行して教え・取り組んでいかなければならだろう。
いじめは、何も子供の世界だけのことではない。大人の世界に入れば、もっと強烈で陰湿ないじめが至る所で横行している。やがて子供もその世界に入っていくわけだから、鉄の熱い内・柔軟な子供の内に、「いじめの何たるか」を理解させ、自分のものにさせておくことだ。
【いのち】
前4日間で「いじめ発生の環境」を捉えてみたが、つまるところは「命の大切さの躾と教育」の欠如ではないだろうか。
今地球上にある生命の全ては、「地球46億年の歴史の中での奇跡の積み重ね」と「生命誕生以来の生存に向けての格闘の歴史」を受け継いだものである。人も草木も花も虫も、生きとし生けるもの全てが同等に、生きる権利と生き抜く義務をもっている。ここのところを、年齢に併せてしっかり教えておけば、いたずらに虫を殺すことも、草木や花を手折ることも、ましてや人を傷つけ己の命を自ら絶つこともなくなるだろう。
一代が30年として、今の自分に至るまでの父母の数を計算してみた。日本の総人口に近い1億2千5百万人までとやってみたら、25代・750年遡ると、1億3421万7728人の父母になった。時代は平安後期の天喜四年、前九年の役の頃である。
たった25代遡ってもこれだけの父母が居てくれた訳だ。そして、その後の日本史を紐解くまでも無く、「生命倫理」など意識していようがいまいが、幾多の苦難と恐怖の中で只ひたすらに我子の命を守ってくれた父母がいたのだ。弥生・縄文・石器と時代を遡れば、尚更のことである。その連鎖の賜物が、今の自分である。
長い日本人の歴史を見ても、ほぼ満足に衣食が足りるようになったのは、僅か50年前からではないか。
世の中は常に流動的である。正義も自由も変化し続けている。
「今が最も進んだ世の中だ」等と思うことは、物事の実際を見誤る元だ。進み続けたのは科学だけで、その他のことは一進一退。僅かずつでも前進したことと、一方で大きく後退していることが混在している。
感情と欲に基づく人間社会とその歴史は、是非の繰り返しである。
そうした中にも、守らなければいけないもの・壊してはいけないものが、不変の事柄として有るはずだ。その最たるものが「受け継がれた命を自然と向き合いながら大切にしていくこと」だと思う。
親が子を殺す・子が親を殺す、生徒が自殺をする・教師が自殺をする。「殺」はとんでもないことだが、その前には「虐待」があり「いじめ」がある。「殺・虐・イジメ」、これは一線上にあり、根はひとつなのである。
【教育現場を含めて】
学生の基礎学力低下が取りざたされるようになって久しいが、一向に改善されない。一例だが、新入の英検1級の子に文章を書かせたら、全くものになっていなかった。話しをさせても会話にならない。本人はケロッとしている。「お前は、どこの国の人間だ!」とどなりつけたくなった。
大人びた言葉で会話をする小学生がいた。いわく、「発展的に考慮した方がいい」だと。こんな言葉は、論点をぼかす時に私が使った言葉だ。しかし、無理も無い。日頃最も多く耳にする会話は、跳んでる言葉遣いの大人が出ずっぱりのTVなんだから。
「本を読まないから文章が書けない。文章が書けないから会話が出来ない。会話が出来ないから人間関係が作れない。人間関係が作れないから暴走する。先ずは本に親しませることだ」とは
言い当てて妙だし、真実を突いている。
官僚が机上で教育改革を練る。そして、役人化した教育委員会を通じて現場に押し付ける。
何も、そんなに難しいことでなくていい。義務教育の中で、「読み・書き・そろばん」を教え、「情操に目の向く人間」を育ててくれれば良い。そこから自然に生まれてくるのが、家族愛であり隣人愛であり愛国心だ。愛国心の教育を先頭に立ててどうなるんだ!
役人は公僕である。教師は聖職者である。
公僕の認識のない役人はお辞めください。聖職者の自覚が無かったらお辞めください。
海岳の慈愛の象徴が父母である。
子供を愛しいと思えないようなら、父母にならないでください。
【今から】
今からこの「何でもありの日本」を変えようとしても、その成果が現れるのは100年後かもしれない。世の中がその気になって子供は変えられても親(大人)を変えることは難しいから、この先二代や三代はかかるだろう。壊すは一瞬でも、創るのには何倍もの時間がかかるのだから。
しかし、善事を進めるのに遅いということはない。
2:6:2の法則というのがある。
その組織の中で、先頭にたってその組織を引っ張っている人間の割合が2割。そこにぶら下がってまあまあの仕事をしているのが6割。組織の枠から外れているのが2割りだそうだ。そこで、不要の2割を削ると、残った8割の中でやっぱり2:6:2が生まれるとのこと。
そうすれば、1億2千5百万人を変えると思えば気が遠くなるが、先に立つ・目立つ存在の2割が本気で動けば日本を変えられるではないか。
悪貨が良貨を駆逐するとはいえ、子供の落ちこぼれには最大限気遣うとしても、大人の落ちこぼれはしょうがない。いつの世にも悪太郎はいるし、反面教師も必要?だから。
松本市の「いじめの再調査結果」が何時纏まるか知らないが、学都に相応しい取り組みに結び付けて欲しいと願う。
幸い現市長は、失礼ながら「創造バランスに秀でたお方」とお見受けしている。
是非、入れる場所にはしっかりメスを入れて患部を治療し、術後のフォローにも目を配って欲しい。
*例えば、「飲む打つ買う」の限りを尽くした人間が、いよいよ身体が動かなくなったら手の裏を返
すように善行を説くようなもので、いささか面映いところのある5日間であった。が、ここのところ
のイジメや虐待に関連する連続報道にうんざりしつつ、ついカッカカッカしながらこれを吐き出し
ていた。
あるブログを拝見したのをきっかけにして書いてみたが、とても言い尽くせなかった。
また一呼吸おいてから編集してみたい。
はじめまして。
「ふむふむ」といろいろな考え方があるなと思いながら読ませていただきました。
戦後処理の問題ですけど未だ被占領可の様な物。
航空管制の問題とか某国系の優遇問題とか探せば多い。
某は「俺たちは戦勝国なんだから(略)」と言っている方々も居るようです。
公僕ですが自称「公僕」なだけで皆「お上」だと思ってるでしょう。
情報を大量にもっているだけで「権力」ですし。
父の親の兄弟の息子が父と相続問題で揉めていますが
その人物は役場勤務で町長や農業委員会?を動かして色々やってます。
権力を持つ者は誰かの下になるのを許容する事はありません。
命に関しては「いじめのなんたるか」を覚えさせるわけですから
いじめられる側の心構えの事ですよね?
いじめ等は本来正しい事ではないので「正しいいじめ方」をいじめる側に教えるのはありえない話。
そうなると凄く意地悪な例えなのですが・・・。
いじめられればその人はもちろん相手を怨むでしょう。
自分を抑えきれないくらい相手を殺したくなった時に
人殺しはしたくないからと自殺するのはどうなんでしょう?
2人以上にいじめられているなら
自殺こそが全体では最小の損害で済むという考えも出来ます。
結局止める為には「いじめ」という定義も曖昧な物にするのではなく
犯罪は犯罪として処罰できるものは処罰すればいいのです。
いのちの大切さを説くのは重要ですが人は動植物の命を
己の生きる糧としていますからその面で全ての人を
「同じ基準で」納得させるのは不可能に近いでしょう。
乱文失礼しました。
by Rudo (2006-11-15 11:56)
貴重なご意見・お考え、謹んで拝見いたしました。ありがとうございました。
ともあれ、またどうあれ、このような異常事態・連鎖反応を早く断ち切りたいものです。
by sangaku徒 (2006-11-15 21:45)