残るは芸事、消えるは歌謡曲?
白雲ひとたび去って
知人の声掛けがあって先週の土曜日、中町蔵の館で開かれた三味線のおさらい会に顔を出してみた。三味線のおさらい会だからバチ捌きだけかと思ったら、殆ど俗曲をともなって演奏された。習い始めて5ヶ月の人も可也の年季の入った人もいて、それはそれで観ていて聴いていて楽しいものだった。中でも5歳から習い始めて5年目という少年もいて、大きな拍手を受けていた。
「こういう場があって昔のものが引き継がれていくということは良いことだね」とは、後ろにいたご婦人方の話し。
確かに、三味線にしろ唄にしろ、芸事・習い事として習う場があれば引き継がれ残っていく。また生活の中に溶け込んだものであれば、身近なところで引き継がれていく。
例えば沖縄地方でも津軽地方でも、機会があればごく普通のひとが当然の如く弾き唄ってくれる。
ところが松本(あるいは長野県か)界隈では、三味線や俗曲を習っているというと、特に男の場合は軟弱者とか遊び人とかにとられがちだ。どうしてもひとつ向こう岸においてしまう。
ピアノやバイオリンというと、えらいね~と賞賛の対象になる。この差はなんなんだ!
三味線や俗曲が嫌いかというとそうではない。最近とんとその場が少なくなってはいるが、結構その気になって楽しんだ人は多い。どうも、この楽しんだ場所や雰囲気に繋げてイメージ付けをしているところに原因があるようだ。
ということは、好き嫌いじゃなくて「分っていない・関心がない」というではないか。
しゃれた粋な言葉遊びを三味線にのせて唄う。また単純かつ不器用な三味線という楽器を器用に扱い、言葉に表わせない感情を表現する。
この江戸文化を「分っていない・関心がない」と言いたくなる松本が、松本城を真ん中にして成り立っていこうとするのが何とも皮肉に思えてきた。
気分転換もあって、久し振りに「まるも」でコーヒーを飲んだ。
「まるも」の良さは、コーヒーの味はともかく隣が全然気にならないことだ。だから長尻のお客が多い。この雰囲気は、心地よいクラシック音楽とともに50年近く変わっていない。
コーヒーを啜りながら、ふと気になった。
習い事・伝統芸能は残す場があり残っていくだろうが、「歌謡曲」は誰が残すのだろうかって。
明治の街頭歌はともかく、大正・昭和の「歌謡曲」は歌い手が居なくなれば消える運命なのか。
江戸時代の町民文化は、俗曲ばかりでなく、話芸としての落語・文学としての都都逸などなど「日本の伝統文化」として残される道がある。
「歌謡曲」は、その歌詞だけが取り上げられて残ることはまずない。曲は演奏されることもあるだろう。でも、「歌謡曲」として歌って残される道はあるだろうか。
「叙情歌謡」と称されるものは、クラシックの歌手が歌い残すかもしれない。
「歌謡曲」もナツメロの名曲として取り上げられれば、歌い継がれるかもしれない。いわゆる「演歌」も同様だろう。
「歌は世に連れ世は歌に連れ」だから変遷・淘汰もあるだろうが、あらゆるジャンルの歌に首を突っ込んできた身からするとどうも気になる。
松田聖子が喉を締め上げるように歌って、若者の歌い方が変わった。
サザンオールスターズが巻き舌で歌って、「日本語の詩」の重みが変わった。
キャンディーズやピンクレディーが「ノリ」を加えた。
こんな風に徐々に変化し続けてきたが、美空ひばりが歌わなくなった辺りから大きく様変わりした。 この様変わりは、かってない程のものだ。
この変化の後にさて、「歌謡曲」は歌い継がれるだろうか、「歌謡曲」が残っていく土壌があるのだろうか。
おさらい会が、とんだ「歌謡曲のおさらい会」になってしまった。
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