郷土の潤滑油
市民タイムスが面白い!
市民タイムスが創刊35周年を迎えたとのこと。ほぼ同期間の読者としてはご同慶に耐えない。
創刊時からすると「隔世の感」であるが、それは何も体裁ばかりでなく、内容の充実度と生活への密着度からそう思う。
朝日新聞は記憶にある昔からとっていた。現役時代は、そこに日経・読売が加わっていた。
日経は業務上必要であったし、読売は朝日との対比が面白くて読んでいた。
日経の「春秋」、読売の「編集手帳」のコラム欄は捨てがたかったが、今は朝日と市民タイムスで十分な生活になっている。
「市民タイムス」が大きく部数を伸ばしたきっかけは、他紙にさきがけて「お悔やみ欄」を作ったことだと聞いたことがある。その真偽はともかく、「地域に密着して暮らしの諸事項を記事にする」という基本姿勢が今日を成したことは確かであろう。
大町市から塩尻市、そして木曾地域まで、私の主たる生活グランドの日々の様子が良くわかる。無論、直接関係ないことが殆どであるが、同じ空の下、同じ空気の流れの中に居る人々の息遣いや躍動振りを知ることは楽しい。また、時にはひとつになって心配することもある。
変わったイモやトマトが採れた、キノコの収穫情報、猿や熊や渡り鳥の話しもある。
自由な広告欄も用意されていて、開店・求人広告から仕事請け負います。また差し上げます・下さいや住宅・くるま情報も載る。
楽しいのは、なんと言っても地域のグループ活動や活躍する個人の紹介である。知己を得ていないところの出来事であっても、ついつい頬を緩めて見入ってしまう。
そして、誰もが目を通すのは「お悔やみ欄」であろう。この欄のお陰で、消息を知ることもあるが、義理を欠かさずに済んだことも、一度や二度ではない。
しかし、このバリバリのローカル紙が単なる「かわら版」に終ることなく、確実にこの地域に根を下ろし得たのは、いくつかのコラム欄とシリーズもので維持されている「その質の高さ」ではないだろうか。
「みすず野」は、この頃の「天声人語」より読みやすく、的を外さない内容で感心する。
「口差点」は読者の投稿欄で50代以上の方の投稿が多いが、心を熱くさせられたり穏やかな気持ちにさせられたりで、必ず目を通すところだ。
「その他のコラム」も、この地域に関係した方々が夫々の立場から思いを綴られており、勉強になる。
一つ難を申せば、「みすず野」と「月見やぐら」の棲み分けはきちんとした方がいい。「月見やぐら」は、現場に立った記者の感覚そのものの方が臨場感がある。
シリーズものは、「しののめの道シリーズ」や「安曇野シリーズ」のような大型シリーズは無論であるが、例えば古跡を訪ねたり小径を紹介したりのシリーズも捨て難い。
いずれも改めて、故郷の故事来歴から世情との繋がりまで教えてもらっている。
大型シリーズが出版に結びつくのは当然であるが、規模の小さなシリーズも、シリーズ毎でなくてもいいから、うまく本に纏めて貰いたいがどうだろうか。
「臼井吉見の安曇野を歩く」は、けだし大作だと感心しつつ楽しみにしている。改めて「安曇野」を開き、何度も読み直しているくらいだ。一読者として「安曇野」を通読しただけでは是だけの背景は分らないし、関わる現地の様子を知る由も無い。
是非とも、今後もこういう取り上げ方で故郷を掘り下げつつ紹介して欲しい。
いわゆる三面記事・事件記事・経済記事・広告記事だけのローカル紙なら、ここまでの地位は確保出来なかったであろう。
その地位とは、勿論読者の支持である。
いずれにしても、この地にこのローカル紙「市民タイムス」があることは自慢できる。間違いなく、この地域の潤滑油になっているから。
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