SSブログ

七五調の起源

いささか遡れたか

 我が身にも染み付いている古来の七五調は、何時ごろが起源なのか、どういう経緯があったのか気になるところであった。大体言葉は文字と結びつかないと残らない。和歌は古よりの日本の詩歌形であり、万葉集は万葉仮名だから、その漢字渡来以前に遡ることは想像できていた。

 たまたま古代文字を調べている中で、ヲシテ文献の「ホツマツタエ」の一節に興味をひかれた。
  フタカミノ  オキツホニイテ クニウメト  タミノコトハノ フツクモリ  コレナオサント
  カンガエテ イネナナミチノ アワウタオ カミフソヨコエ イサナギト シモフソヨコエ
  イサナミト  ウタイツラネテ ヲシユレハ イタニネコエノ ミチヒラケ タミノコトバモ
  トトノエハ   ナカクニノナモ アワクニヤ
【フタカミ(イサナギ イサナミ)が七代アマカミに即位したのはオキツホ(琵琶湖西南岸の日吉神社とする説が有力)でのことであった。ここで国境の確定などの取り決めが行われた。この時問題になったことに、タミの言葉の混乱があった。そこで五根七満(五七調)のアワウタが制定され、国語の再整備再構築の基本として流布させてゆき、タミの言葉の精緻さの向上がもたらされた。アワウミ(琵琶湖)を望み見るオキツホで制定されたアワウタであることから、ナカクニ(今の畿内地方)の別名としてアワクニの名称も起きた。~池田 満著 「ホツマツタエ」を読み解くより】

 この一説から、四つのことに気付いた。
 一つは、五根七満(イネナナミチ)という七五調が、弥生時代以前からこの国の語調としてあっただろうこと。二つめは、時の権力者(クニカミ)の力をもって、統一語調として国中(クニナカ)に広められたこと。三つめは、それを受け入れる素地が国中にあったこと。四つめは、次のことである。
 
 万葉集3254 「磯城島の大和の国は 言霊の助くる国ぞ 真幸くありこそ」の、“言霊の助くる国”の意味合いである。
 言葉そのものに霊力があるとして、立派な和歌・上手な和歌を詠むことにより、その霊力をもって願いが叶うとしたのが言霊信仰だが、「助くる」の中に上記二つめ・三つめが含まれているのではないかと。
 水稲耕作の普及はタミに安定した生活をもたらし、同時に国力を増すことに繋がった。従って、水稲栽培普及指導はクニカミ最大の事業行為であり、タミにとっては待ち望むところでありクニカミに対する信頼、そして従属の最大要件であった。
 五根七満による水稲栽培普及指導は、まさに言霊(言霊の助くるところ)そのものであったのではなかろうか。

 これにより、古墳時代を数千年?遡って起源を訪ねたことになる。しかし、七五調発生のところへはまだ行き当たっていない。
 そこで、いまのところの想定の範囲であるが、
1.大和言葉(日本語)は、アイウエオの五つの母音をもとに成り立つ、歯切れの良い表音語(文
 字)であること。単音語の連結で言葉が出来ている。
2.文字が出来る前は、話し言葉(語り)で自分達の歴史や特別な出来事を伝承したこと。
3.語り伝えを担う者は、相当な権威を持っていただろうこと。
4.語り伝えるには、リズミカルであれば覚えやすい・話しやすい・聞きやすいということ。
5.五文字の連続では単調になる。そこでで、次の収まりの良い語数はというと七であること。
6.語るリズムを
4拍子にとれば、初句の頭以外は一拍めの8分休符が息継ぎになり、七五調の
 五であれ七であれ2拍めの前に言葉の頭が来る。これにより、ポンと調子を入れて2音1拍のリ
 ズムをとれば語りやすくなること。
  5文字の場合~〇〇〇〇◎■ (〇は8分、◎は4分で1拍、最後の■は4分休符)←これを4
 拍で語る
  7文字の場合~▲〇〇〇〇〇〇〇 (最初の▲は8分休符)←これを8拍で語る
7.五・七の奇数には、別にも特別の意味合いを感じ・持たせてきただろうこと。
 等などが重なり合って、何時からかは分らないが、ごく自然発生的に、改まった場での大和言
 葉の語調として七五調が生まれて来たのではないかと思う。
  
* これ以上は言語学者の範疇なので、素人はここまで。

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

郷土の潤滑油ブログの自衛保管 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。