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どこへ行った、暮れ・正月

段取りが良すぎたのか

 段取り良く遣ったせいか遣ることが少なくなったのか、暮れの30日に一息つく時間ができた。
あとは、明日神棚を飾り付ければ年取りになる。
 市街地でそれらしい雰囲があるのは、縄手通りの出店のみ。それも、人だかりと言うほどのことはない。街中静かなものだ。 スーパーでは、売れている店とそうでない店の落差は歴然。暮れに来て慌てて売り場作りをしても駄目。日頃から信頼される仕事をしていないと客は寄り付かない。天気が良いから、遠出をしてでも「良い店」に行き「折角の買い物」をしたいのが消費者心理。

 【20年以上前の日経新聞コラム「春秋」に、こんな名文があった。】
 雪の降る音をしんしんと表したのはだれだろうか。夜降り積もる雪の音は、まさにこの表現以外には考えられない。囲炉裏では、たき木がパチパチとはぜる。チンチンと湯のたぎる鉄瓶、柱時計がボーンボーンと時を刻む。
 遠くでボオーッと汽車の汽笛が鳴り、列車が通り過ぎる響きが消えたあとは、小川のせせらぎが強く聞こえた。朝起きれば快晴、雨戸のふし穴からキラキラと朝日がさし込む。吹雪の時、すき間風に悩まされる雨戸が、一転して光りの芸術を演出する魔法の装置と化した。トキを告げる鶏、庭木ではさまざまな小鳥が合唱していた。
 真っ赤なほっぺたをした子供たちが、早くも雪だるま作りや雪合戦に興じる歓声が伝わってくる。やがて北風がヒューヒューと吹き始めると、遊びはタコ揚げに転じ、タコに付けた弦がうなりを発して空をふるわせた。天地はあくまで静けさに満ち、時にバサッと大きな音をたてるのは裏の竹やぶの雪が落ちたもの。指折り数えて待った正月まであと三日ともなれば、近くの家から餅をつく杵の音がもれてきたものだ。
 思えば、いろいろな音があった。貧しいなりに、自然の音、生活の音、それぞれ心にしみた。豊かな日本に変わった今、これらの音はほとんど消え去って跡もない。歳末の餅をつく音さえ聞くことはまれになった。二十四時間、天地を飛び交う電波音、エンジン音の中で、中高年はカラオケに酔いしれ、若者たちはイヤホンの世界に逃げ込む。正月くらい昔の音が聞こえる土地に旅してみたい。

 時間の経過に音と光りの変化や人の動きを乗せた、実に情感溢れる上手な良い文章だと思いとっておいた。「囲炉裏」の三文字を除けば、昭和20年代の私の思い出そのものでもあったから。
 「元日はよそ様の家にいくもんじゃないよ!」と足止めされながらも、昼近くになればそわそわと落ち着かず、玄関からそっと顔を出すと遊び仲間が所在なげに夫々の家の前にいる。目が合えば、ソレッとばかりに飛び出して夕方まで遊んでしまう。誰のポケットにも、餅が3切ればかりと煮干が4~5本入っていた。これで一日中遊べたもんだ。

 先の「春秋」はバブルの絶頂に向かう時期に書かれた文章だが、あれから20有余年。内容を見返せば、さらに暮れ正月の雰囲気は希薄になっている。加えるのは、携帯電話とパソコンとDVDとデジカメかな。なあ~んだ、みんなIT機器・デジタル機器ばかりじゃないか。
 無機質なものに振り回され・追いかけ追いかけられる人間には、しっとりとした季節の情感や「晴れの日」の節目なんぞは関係ないか。
 と言いつつ私も、こうしてブログを立ち上げて3ケ月半になり、書いた記事も実質60を越えた。
その上、来年はビジュアルなものにしようと思っている。
 それでも、守るべきは守り・残すべきは残し、OBの面目だけは失わないようにしたい。

* お付き合い頂いた皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。


 

 


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